尾張名古屋の天下統一
2025.11.04
愛知県は、明治時代まで尾張と三河に分かれており、言葉も文化地域性も大きく異なります。
しかし愛知県の中心は名古屋という事とは、ゆるぎない事実です。
地元で三英傑と呼ばれる織田・豊臣・徳川は元より、実は鎌倉幕府の創始者の源頼朝も名古屋出身です。
乱世の戦国時代を経て徳川家康が天下を取ると、愛知県出身の大名が全国に散らばり、併せて文化や習慣も広がりました。
尾張徳川家として徳川幕府のNO2でしたが、幕末明治には特に活躍も無く、その後地味な名古屋として定着してしまい、イベントの名古屋飛ばしなど、全国的な存在感が低迷していました。
地元民は特に気にしませんが、魅力のない街にも常に高順位に選ばれていますが、東京と大阪に挟まれた地域性も影響して、新しい文化が広がりました。
味噌カツや櫃まぶし、きしめんにあんかけスパ、味噌煮込みうどん・手羽先などのB級グルメや喫茶店の豪華モーニング・有名なコスプレイベントと、大いなる田舎の名古屋も、結構元気が出ていました。コメダもココイチも山ちゃんも……、其々の分野で徳川家康に負けず天下統一を目指しております。ちなみに、名古屋城の本丸御殿は、戦争で焼失していたものを、15年前に当時とまったく同じように、絢爛豪華に復元しており、これは必見です。東西の醤油とソースの戦いに、天下を目指して赤味噌が参戦です。

















